国土交通省から、地価公示が発表されました。
私も多摩第7分科会の評価員を務めていて、鑑定評価書が閲覧できます。
地価公示の主な役割は
- 一般の土地の取引に対して指標を与えること
- 不動産鑑定の規準となること
- 公共事業用地の取得価格算定の規準となること
- 土地の相続評価および固定資産税評価についての基準となること
- 国土利用計画法による土地の価格審査の規準となること 等
と、国交省のHPに記載があり、公示価格は土地取引や課税の際の目安になります。

災害との関連
ところで、先週また被災建物の調査のため、能登の珠洲市に行きました。

調査では、石川県の不動産鑑定士で、地価公示の幹事をしている方と
支援日程が一緒になり、いろいろなお話をしました。
支援の合間に伺ったお話が、重く心に突き刺さっています。
令和6年の地価公示は、まさに想像を絶する困難さだったそうです。
なぜなら、地価公示は『その年の1月1日時点』の価格を判定するものだからです。
令和6年1月1日。あの能登半島地震が発生した、その日です。
幹事さんは、すぐに国土交通省の担当部局へ確認を入れたそうです。
1月1日の、『何時』時点の地価なのか。
その問いが持つあまりの重さに、私はしばらく言葉を失いました。
災害という、抗いようのない現実を前にしてもなお
『真実の数字』を刻もうとする専門家の執念。

地震が起きる前の静かな午前中なのか、
それとも甚大な被害が出た後の夕刻なのか。
わずか数時間の差で、土地のあり方は劇的に変わってしまいます。
私たち鑑定士が向き合っているのは、
単なる計算式ではなく、その瞬間の『真実』なのだと、
お話を伺った私の心に深く、静かに沈み込み、
専門家としての責務の重さを改めて刻み込むものとなりました。


追記:一年を経て思うこと
令和6年4月に、全国の不動産鑑定士による支援が始まって間もないころのことです。
何より深く印象に残っているのは、支援に集まった私たち一人ひとりに、
石川県不動産鑑定士協会の重鎮の先生が頭を下げて回られた姿です。
『石川県のために、ありがとうございます』
甚大な被害を前に、地元の方々こそが一番お辛い状況にあるはずなのに。
石川県内の鑑定士は20数名と少なく、高齢の方もいらっしゃいます。
困った時はお互い様、東京に1,800人いる鑑定士の末席として、
当然の務めと思い支援に応じた私に、
これほどまでの敬意と感謝を示してくださる。
地元の鑑定士の方々は、決して苛立ちを見せることなく、
毅然とし、ただ粛々と、そして感謝の念をもって
私たちを受け入れてくださいました。
1月1日の『何時』の地価を問う執念と、支援に集まった者への深い慈しみ。
珠洲の地で触れたその尊い在り方に、
私は専門家として、そして一人の人間として、
言葉に尽くせぬ厳粛な気持ちになりました。
(令和8年3月18日)


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